人生冴えて幼稚園より深夜の曲

 空には星が出ていた。首都圏と言えど、私の住むこの町は三両編成のボロ私鉄が一本走っているだけの寂れたところである。満天とは言い難いが、ちらほらと光る塵のような星々が頭の上で広がっている。

 初夏だ。肌に纏わりつく暑さは私を離れることは決してない。背を垂れていく汗の一筋に不快が極まる。私は頭を掻いて最寄り駅前の商店街を抜けた。私は深夜に一人で歩いていたが、そこに目的はなかった。吸いもしない煙草を購入したこともパチンコで二万円をスったことも八千円の安ソープに入ろうとしてやめたことも、全てただの思いつきだった。私はひどく冴えていた。明らかに金のかけられていなそうな街灯の薄明りが、まるで嘗てのダンスホールの照明のように映る。ならば街灯はポールか。私は徒に、誘蛾灯に集う羽虫のようにそこへ手を伸ばした。ストリップ嬢の不健康なほどやせた腕とはまるっきり違う私の腕。現場作業員として働きとおす毎日の中で培われた、毛深く焼けた逞しい腕。動物的な私の筋骨だけが一つこの背を正してくれる。私は私の血と肉とに酔った。すっかり気を良くして、私はまた歩きだした。自転車に乗った、私と同年代くらいの親父がじっと私を見てきたが気にもとめなかった。私は手に持っていたコカコーラを呷った。手に触れた水滴が手首を下り落ちる。水分を求め飢えていた喉を発泡する液体が下っていく。口を外し、キャップをしめると、私はそれを道端に投げつけた。しめ方が緩かったのか、炭酸が音をたて、コーラがアスファルトへ流れ出した。私は構わずに歩き続け、映画のワンシーンのように両手を拡げた。

 私を動かしていたものは何もなかった。しかし、私のジーンズのポケットに入っているナイフは思いつきでない。かと言って慎重に志向を重ねた上での判断というわけでもない。ありきたりに、ホームセンターでサバイバルナイフを購入した時は、何かが変わってしまうような感じを味わった。男か女か、年は幾つくらいか、どんな服装をしている奴か。狙いを定めて触ったその刃の鋭さと言えばなかった。であるのに、こうして何もせずふらふらと当てどなく歩き続けている。その刃の鋭さも忘れ目に映るものすべてに感動してみせる私はただの一市民だった。布ごしにあるナイフのことなど、実のところ私の頭からはすっ飛んでいた。

 そうしてふらついているうちに私はある建物にすれ違った。見てみればそれは幼稚園だった。そのミニチュア模型のような建物の壁に、丸っこい字体でなにか標語のようなものが貼られてあった。私は目を凝らした。暗闇の中でその文字は辛うじて、「みんななかよし」であると判読できた。「みんななかよし」。私は園内を遠巻きに見た。音のない夜半、固く閉じられた門の先に砂場や手狭なグラウンドが見える。奥には三輪車のようなものまで見えた。普段接している現実とは程遠い世界に、私は笑いそうになった。私にも嘗てこのような時期があったはずだ。と言っても、幼少期に良い思い出はあまり無い。その中でも、無理やりやらされた「お遊戯」は苦痛だった記憶がある。男女関係なく強制参加だったうえ、同じような振り付けを何度も何度も繰り返し練習させられたのだ。

 だが感情というものは大抵薄れる。その当時の苦痛は既に私の裡では薄れてしまっていた。窮屈な思い出が何故か爽やかささえ持ち始めている。踊れるだろうか。曲の旋律は今でも思い出すことができる。動きも、ぎこちないものの覚えている。伸ばされた手をそのままに、私は不格好な「お遊戯」をしてみた。大の大人が何をしているのだろうか。それもこれも全てパチンコ後に飲んだ酒のせいなのかも知れない。私の太い腕が鷹揚に空を切る。ポケットの中のナイフは縮こまって私の動きに従う。歌を紡ぐ口にも、空を抱く腕にも、ステップを刻む足のどれにも優雅さの欠片はない。飲んだくれのそれに過ぎない。私は笑った。世界は回っている。暗がりの中で私は拙く踊り続けるのだった。